今年もまたあのホノルルマラソンのスタートが近づいてきた。
早朝スタートは寒かった、走って体が温まるまでの1時間を想定してビニールのごみ袋をまとっていた。雨降りの悪天候で開催延期が危ぶまれたが市長の挨拶がよかった。
「雨は降ってるし寒い、42.195KMはつらい道のりとなるだろう・・・それでもランナー諸君スタートするかね!!」の号令的問いかけに、ホノルルマラソン参加者数3万5千人の拳を空に上げての「オー!!」でが答えだった
かくしてスタートはきられた
ダイヤモンドヘッドの登り
心臓破りの丘と呼ばれているにしては、たいしたことないなと思いながら快調なペースで進んでいた。それがリターン後の逆からの登りにはめちゃくちゃきついランになるとは初心者の自分にはわからなかったのだ。
そんなときだ。ホノルルマラソン名物「バニーレーサー」ことバニーガールの格好をした金髪の美女が、お尻のボンボリをふりふりしながら我輩を抜いていったではないか
「なんと、日本男児としてこれでいいのか!」すわ!というので追いかけた。猛然とダッシュした。10KM地点だと思う。
ものの10分もすると懸命の努力の甲斐なく、あっけなくスタミナ切れとなった
完全なオーバーペース、急激なピッチ走法から短距離走法へのスイッチは貴重な体力をゼロに近くまで消耗してしまった
ちょうど、バッテリーが切れそこなったラジコンカーみたいなものだ。なんとも情けない格好になりついに水のみながら歩いてしまった。
前方を見ると、僕と同じ野郎ランナーどもがみごとにバニートラップにハマっていくのが見て取れた
みんな急にペースを上げてついていってしまうのだ。ああ、バカだな俺は、男なんてみんな所詮こんなものなのだ、とジタンダ踏んでも後の祭り。
その夜のニュースを見ていたらホノルルマラソン特集で「今年も男性陣を煙に巻いたハワイ大学女子陸上部」としてあの網タイツ姿がはっきり映し出されていた。
15KM地点で早くも折り返しのトップランナーとすれ違う。
その精悍な走りっぷりにはほれぼれした、アフリカからの招待選手で昨日のパスタパーティーの壇上で紹介されていた優勝候補ナンバーワンだった
「俺は世界ナンバーワンと同じコースを走っているんだ!」という実感は何ものにも代え難い誇りとして、走る力に意欲が湧いたものだ。
HAWAII KAIという高級リゾート住宅街が折り返し地点で、美しいヨットハーバーのある生活はうらやましく思えた
そこに住む方々のボランタリーでの水とバナナ配給サービスも嬉しく、アゲインストの風に悩まされながらも走り続けた
このあたりから、走り込んでいるランナーはスタートしていった。さすがに違うな、と思った。
最後の難関、ダイヤモンドヘッドはただひたすら「苦しい、早く終わって欲しい」の一言であった
スタミナが切れ、膝が笑っている。体力もとうに力つきている。走っているつもりが、歩くスピードと変わらなかった。
路肩の地元ハワイアンの声援がとにかく力になった。「ユアナ タイガー GOGOGO!!!」は今でも耳に残っている。
ダイヤモンドヘッドの下りは目前のゴールを思った
あとがんばって走れば、ひょっとすると4時間切れるかも、そう思えるのだが、以外とこれからが長かった
最後のスマイルロードとよばれるゴール前500Mはけじめをつけた喜びでいっぱいだった
42.195KMというより半年あまり、仕事の合間の時間を費やした練習時間全部のけじめだった
ゴール後の完走登録にもらったTシャツは大事にとってある。とその時に一気のみした一杯のコーラがこれほどうまかった飲み物はないと思うほど体に甘味が浸みた。
完走した日の午後はビーチでただ空を眺めていた。疲れ切ってそれしか出来なかったのも事実だったが、それは完走した満足を噛みしめている時間だった。
翌日には痛い足を引きずりながら、完走証明書とメダルをもらいに近くのホテルまで行った
そこには、世界各国から来た笑顔の一般ランナー数千人がズリズリと歩きながら集っていた
みんな目でお互いの健闘をたたえながらも、来年も会いましょうとオリンピック閉会式さながらの感動があった
・・・
そんなことを思い出して眠りについた
その翌日
「うっし、まずハワイに行こう!」
もう一度そのコースを見て、12月13日を目指そう
そう、思った
あとは行動あるのみ、背水の陣である
血が騒いでいるのは言うまでもない
みなさん、ホノルルマラソンでお会いしましょう! |